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カテゴリ:私が張り子作家になったきっかけ の記事一覧

私が張り子作家になったきっかけパート3

こんにちは。林史恵です。
前回は、小川張り子の職人、嶋田重夫さんに出会うところまで書きました。

前回までの記事はこちらから

私が張り子作家になったきっかけパート1
私が張り子作家になったきっかけパート2

嶋田重夫さんは、大変気さくで穏やかで、でも奥深さも持っている素晴らしい方でした。その何日か後、自宅に招待してくださり、そこで初めて嶋田さんは、小川張り子の職人であるとともに、日本でただ一人の張り子紙専用の紙をすく、伝統の紙漉き職人であることも知りました。

そこで手づくりの張り子を作る、伝統の手法を目の前で実演していただき、あぁ、手づくりの技法はなんて温かみのあるものなのだと、私も手づくりの張り子を作る仕事がしたいと心から思うようになりました。

嶋田さんから張り子紙を分けてもらい、家で張り子製作を行いながら、他にも手張りで張り子を作る職人さんはいないかとさがしていたら、千葉の佐原に、鎌田さんという職人さんがいらっしゃることを知り、事前に電話をし、訪ねることにしました。鎌田さんは忙しい合間を縫って会ってくださり、”三浦屋”という、ご自身の作品が売られている喫茶店や、張り子教室もしているという工房も見せていただきました。

鎌田さんは、ご存じの方もいるかと思いますが、童話に出てきそうな優しげな雰囲気を持った方で、作品も、そのお人柄がにじみ出ているようなとても趣深いものでした。“餅つきうさぎ”という作品が有名で、平成11年の年賀切手にも採用されています。
弟子にしていただけるかお願いしてみたのですが、やはり千葉と埼玉では距離がありすぎるとのことでした。

しかし、なんと!なんと!!鎌田さんは私の帰り際に、ある方の連絡先を教えて下さったのです。その方は、張り子の域を超越したような芸術作品を作る方で、ベストセラー小説の表紙を手がけていることでも有名です。前から存じており、個展を見に行ったりしていましたし、画集もすでに持っていたのですが、私にとっては雲の上の存在で、なかなか現実味が湧いてこず、電話をかける決心がつくまで数週間かかってしまいました。

その方に、私は師事をし、張り子を学んだのです。

現在は、師のもとを独立し、独自ブランド、はりこのはやしやを運営しております。
私のホームページです。のぞいてみてください

(ノ´∀`*)

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私が張り子作家になったきっかけパート2

こんにちは。林史恵です。
前回の記事では、鈴幸人形店へ行こうと決心したところまで書きました。


前回の記事はこちらをご覧下さい
 私が張り子作家になったきっかけパート1

北越谷駅から歩いて20分程のところに、鈴幸人形店はありました。そこでも店長で職人の鈴木さんと奥さんが温かく出迎えてくださいました。鈴木さんは少し緊張していた私を気遣って、「よくきましたね。私も若い頃、商品を売り込みに行く際は緊張したんですよ」と言ってくださり、とても元気づけられたのを覚えいます。

お話を聞いてみると、鈴幸は張り子ではなく、おがくずを固めて作る“練り物”という技法を使っていることを知り、練り物にも興味が湧いて来ました。
その後、家で調べてみると、雛人形の顔も、練り物で作られているとの事でした。そして、練り物で雛人形の頭を作る頭師(かしらし)的場さんという職人さんが、埼玉県鴻巣市に住んでいらっしゃることを知り、会ってみたいと考えました。更に調べていると、埼玉県小川町の伝統工芸会館で行われるイベントで、的場さんが雛人形の絵つけ体験を行うことを知り、参加させていただくことにしました。
イベント会場で的場さんの作った雛人形に絵付けをすることで、頭師の技術の繊細さを感じることが出来ましたが、私の入ったときは他にもお客さんがいて、忙しそうにしていたため、残念ながらお話を聞く時間はありませんでした。

しかし!なんと!おなじ会場で張り子のお店が出展されているのを見つけたのです!その頃の私はまだまだ張り子の知識が浅く、調査が進んでいなかったのですが、埼玉県小川町には”小川張り子”という有名な張り子があり、嶋田重夫さんと、その奥様、実子さんが作っていらっしゃいます。
私は興奮する気持ちを抑えつつ、お客さんが引くのを見計らって早速ご挨拶し、私も張り子の作り方を知りたいということをお伝えしました。

次回に続きます。


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私が張り子作家になったきっかけ パート1


こんにちは、林史恵です。今日は私が張り子の作家になるきっかけをお話しします。

私が張り子に興味を持ったきっかけは、小学生の低学年の頃、東京の土産物屋さんで犬張子を見たのがきっかけです。
丸い顔とくっきりした顔立ちが印象的で、当時から絵を書いたり工作をするのが好きだった私は、いつかは私もこの犬張子のような可愛い玩具を自分でも作ってみたいと思うようになりました。

そして時が経ち、大学に進学して以前よりも自分の好きなことをする余裕が生まれたとき、ふと小さな頃印象に残っていた、あの犬の土産物について調べてみることにしました。するとそれは張り子という伝統工芸品で、紙で作られたものであると知ったのです。

大学3年生になり、周囲が就職活動をしだした頃、私は、何とかして張り子の職人に弟子入りできないかと思うようになりました。

そこで最初に行ったのが、群馬県高崎市にあるだるまの工場『大門屋』です。職人さんは商談中でお話を聞くことは出来なかったのですが、広い工場に、大きいダルマや小さいだるまがキャンディーみたいに棒にささって立っている光景を見て、ワクワクしたのを覚えています。
その後、自分の住んでいる埼玉県にもだるま工場があると知り、電話で事前にお願いし向かったのが、埼玉県越谷市にある『荻野だるま製作所』です。そこでは社長で職人さんの荻野芳雄さんが心良く出迎えてくださり、昔のだるまや、原型であるだるまの木型を見せてくださったり、お父様である先代の話を詳しく教えてくださったりしました。

ぜひ私もここで働きたい!と思い、自分も働かせてくださらないかとお願いしてみたのですが、残念だけれど人手は足りているとのことでした。

しかし、その後も、埼玉県小川町の伝統工芸会館で行われたダルマのイベントで出店中の荻野さんに久しぶりに会った際、なんと覚えていて下さり、気さくに話をして下さいました。

荻野だるま製作所を調べたことで、越谷周辺には複数だるま工場があることを知ったのですが、その流れで、越谷には『鈴幸(すずこう)』という、犬張子を作る工場があることを知り、訪ねることにしました。

     
次回に続きます。

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