カテゴリ:郷土玩具 の記事一覧
土鈴の街、栃木県佐野市で制作されたと思われる豆五猿
最後に追記をさせていただきました。とても大事な情報です。
こんにちは、張り子作家、林史恵です。
今日は以前、郷土玩具の会にて発見した、可愛らしい猿の土人形のレポート致します。
それがこちらです。”豆五猿”というそうです。

この玩具が入っていた箱には、“佐野”と表記されていたことから、土鈴で有名な、栃木県佐野市の土人形であると思われます。情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。それにしても可愛いですね。

白い猿のバージョンもありました。
癒されます。
どなたが制作されたのか、申し訳ないことによくわからないのですが、いつも参考にしている資料を読んでみると、佐野市では、お二人の土人形職人がいらっしゃるそうです。この豆五猿を作ったのもお二人のどちらかと思われます。
相沢一太郎氏
明治三五年生まれ。片柳喜一郎氏を師として、18才(大正9年)で、雑貨、土鈴の店を創業しました。
土鈴の種類は250種(佐野赤天神、出世俵鈴、龍神風神鈴など)に及び、その他、鳩笛10種、八朔人形の京人形や、馬乗り大将など、種々あります。
相沢氏が子供の頃、近所に箱庭(※)を作る家があり、学校から帰るとその家へ手伝いに行ったのが、土鈴の道の始まりでした。大正の中頃から独立をして、箱庭の道具制作をはじめ、土鈴は昭和の初期に作った、唐沢山神社の俵鈴が第一号だと言います。
(※)箱庭とは
小さな箱に土を盛り、山や川を作り、草木や石などを配し、山水や庭園の様を模して鑑賞するもの。
その道具の家や橋、船などのミニチュアは、粘土で焼いて作られていた。
山口壬三(ていぞう)氏
山口壬三氏の制作される土人形は、堀米人形と呼ばれています。元々、壬三氏の父、安太郎氏が、佐野市内の堀米で土人形をつくりだしたことから、そう呼ばれています。
山口安太郎氏と、先に紹介した相沢一太郎氏は幼馴染みであったそうです。
相沢氏は箱庭の道具職人から土人形職人になったのに対し、安太郎氏は京都の清水で修行をして人形師の道に入り、各地を転々としたのちに、佐野へ戻って堀米人形を作るようになったといいます。
そして、二代目、壬三氏は、父、安太郎氏の仕事を見よう見まねで覚えていましたが、父の没後、博多へ人形作りの修行に出かけ、昭和26年、佐野へ帰り、土人形制作をはじめました。
そのため、同じ堀米人形でも、父、安太郎氏は清水系、壬三氏は、博多系の人形を制作されるのだそうです。
相沢一太郎氏の作風に対し、山口壬三氏の作風は、小型なものが多く、丁寧な彩色が特徴なのだそうです。このように小ぶりな形で繊細なものを土鈴にするのは、大変な手間なのだそうです。
-----------------------------------------------追記(重要!!)-----------------------------------
記事にした後、大変ありがたいことに、親しくしていただいているΩ社様という方から、早速情報をいただきました。
貴重な情報を本当に有難うございます!!
いただいた情報はこの二つ。
●豆五猿の製作者は、相沢一太郎氏であるということ
●まめでござるという言葉に、“豆”“五”“猿”という字をあてた洒落を、実際に相沢氏が形にしたということ
製作者は相沢氏の方だったのですね。また、このおサルたちの名でもある“豆五猿”という響き事態が、洒落であったということも解りました!
Ω社様は、架空広告や架空民芸品を手がける若手の職人さん。可愛らしいこけし達や、起き上がり人形の起き上がりえぼし、今年のへび年にちなんだお巳くじなど、キラリとセンスの光る、楽しくて繊細な作品を数多く手がけていらっしゃいます。
HAND MADE IN Ω社
参考資料
私のホームページです。のぞいてみてください(ノ´∀`*)
江戸張り子で有名な、犬張子を製作、販売しております。
はりこのはやしや ホームページ
当店のネットショップです。
はりこのはやしや ネットショップ
ツイッターしています。
こんにちは、張り子作家、林史恵です。
今日は以前、郷土玩具の会にて発見した、可愛らしい猿の土人形のレポート致します。
それがこちらです。”豆五猿”というそうです。

この玩具が入っていた箱には、“佐野”と表記されていたことから、土鈴で有名な、栃木県佐野市の土人形であると思われます。情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。それにしても可愛いですね。

白い猿のバージョンもありました。
癒されます。
どなたが制作されたのか、申し訳ないことによくわからないのですが、いつも参考にしている資料を読んでみると、佐野市では、お二人の土人形職人がいらっしゃるそうです。この豆五猿を作ったのもお二人のどちらかと思われます。
相沢一太郎氏
明治三五年生まれ。片柳喜一郎氏を師として、18才(大正9年)で、雑貨、土鈴の店を創業しました。
土鈴の種類は250種(佐野赤天神、出世俵鈴、龍神風神鈴など)に及び、その他、鳩笛10種、八朔人形の京人形や、馬乗り大将など、種々あります。
相沢氏が子供の頃、近所に箱庭(※)を作る家があり、学校から帰るとその家へ手伝いに行ったのが、土鈴の道の始まりでした。大正の中頃から独立をして、箱庭の道具制作をはじめ、土鈴は昭和の初期に作った、唐沢山神社の俵鈴が第一号だと言います。
(※)箱庭とは
小さな箱に土を盛り、山や川を作り、草木や石などを配し、山水や庭園の様を模して鑑賞するもの。
その道具の家や橋、船などのミニチュアは、粘土で焼いて作られていた。
山口壬三(ていぞう)氏
山口壬三氏の制作される土人形は、堀米人形と呼ばれています。元々、壬三氏の父、安太郎氏が、佐野市内の堀米で土人形をつくりだしたことから、そう呼ばれています。
山口安太郎氏と、先に紹介した相沢一太郎氏は幼馴染みであったそうです。
相沢氏は箱庭の道具職人から土人形職人になったのに対し、安太郎氏は京都の清水で修行をして人形師の道に入り、各地を転々としたのちに、佐野へ戻って堀米人形を作るようになったといいます。
そして、二代目、壬三氏は、父、安太郎氏の仕事を見よう見まねで覚えていましたが、父の没後、博多へ人形作りの修行に出かけ、昭和26年、佐野へ帰り、土人形制作をはじめました。
そのため、同じ堀米人形でも、父、安太郎氏は清水系、壬三氏は、博多系の人形を制作されるのだそうです。
相沢一太郎氏の作風に対し、山口壬三氏の作風は、小型なものが多く、丁寧な彩色が特徴なのだそうです。このように小ぶりな形で繊細なものを土鈴にするのは、大変な手間なのだそうです。
-----------------------------------------------追記(重要!!)-----------------------------------
記事にした後、大変ありがたいことに、親しくしていただいているΩ社様という方から、早速情報をいただきました。
貴重な情報を本当に有難うございます!!
いただいた情報はこの二つ。
●豆五猿の製作者は、相沢一太郎氏であるということ
●まめでござるという言葉に、“豆”“五”“猿”という字をあてた洒落を、実際に相沢氏が形にしたということ
製作者は相沢氏の方だったのですね。また、このおサルたちの名でもある“豆五猿”という響き事態が、洒落であったということも解りました!
Ω社様は、架空広告や架空民芸品を手がける若手の職人さん。可愛らしいこけし達や、起き上がり人形の起き上がりえぼし、今年のへび年にちなんだお巳くじなど、キラリとセンスの光る、楽しくて繊細な作品を数多く手がけていらっしゃいます。
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参考資料
![]() | 全国郷土玩具ガイド〈2〉 (1992/06) 畑野 栄三 商品詳細を見る |
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広島県の常石張り子
こんにちは、張り子作家、林史恵です。
今日は、郷土玩具の会で見つけた、広島県の常石張り子について、ご紹介させていただきます。

常石張り子、寒行法師 宮本峯一作
広島県の沼隈半島の先端、沼隈町で、常石張り子は作られています。
今回紹介させていただきます張り子は、すべて二代目、宮本峯一氏によるもので、現在は三代目、宮本義孝氏が後を次いでいらっしゃいます。

常石張り子、獅子舞 宮本峯一作
張り子の中でもこれほど自由奔放に造形され、彩色されたものも少ないと言われています。
種類は二代目の峯一氏が生み出したものが多く、三代目の義孝氏にも、何種類あるのかわからないそうです。

常石張り子、獅子舞(後ろ) 宮本峯一作
義孝氏が現在作っているのは150種ほどで、比較的大型の人形が多く、高さ30センチの八重垣雛、花魁、立雛などの女性の立ち姿や武者者、また、恵比寿、大黒、天神などの縁起物も人気があるそうです。

常石張り子、獅子舞(底のサイン) 宮本峯一作

常石張り子、相撲 宮本峯一作
常石張り子は、初代の宮本九平氏が明治20年頃から始めました。初期は張り子ではなく、土人形であったといいます。しかし、不便な土地柄で、運搬のたびに破損が出るので、張り子に変えたのだそうです。

常石張り子、相撲(後ろ) 宮本峯一作
広島県のこの土地で、人形製作が行われるようになった要因の一つに、(※)八朔の行事が考えられます。
新粉(米の粉)で人形や馬をつくって飾ったり、男の子には張り子の馬を、女の子には紙人形を節句に飾る風習が、自家製から専門家の手によって委ねられたと言われています。
三代目、宮本義孝氏常石張り子は、平成3年の未年、平成12年の辰年の、年賀切手に採用されました。


(※八朔)旧暦の八月一日のこと。秋の収穫を前にして、豊作を喜び合った行事。田の実(稲の実)や馬節句(収穫や馬の労働に感謝)などといい、新粉で人形や馬をつくって飾ったり、男子には張り子の馬を、女子には張り子の馬を飾る。
参考資料
広島文化大百科
全国郷土玩具ガイド③ 畑野栄三著
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常石張り子、寒行法師 宮本峯一作
広島県の沼隈半島の先端、沼隈町で、常石張り子は作られています。
今回紹介させていただきます張り子は、すべて二代目、宮本峯一氏によるもので、現在は三代目、宮本義孝氏が後を次いでいらっしゃいます。

常石張り子、獅子舞 宮本峯一作
張り子の中でもこれほど自由奔放に造形され、彩色されたものも少ないと言われています。
種類は二代目の峯一氏が生み出したものが多く、三代目の義孝氏にも、何種類あるのかわからないそうです。

常石張り子、獅子舞(後ろ) 宮本峯一作
義孝氏が現在作っているのは150種ほどで、比較的大型の人形が多く、高さ30センチの八重垣雛、花魁、立雛などの女性の立ち姿や武者者、また、恵比寿、大黒、天神などの縁起物も人気があるそうです。

常石張り子、獅子舞(底のサイン) 宮本峯一作

常石張り子、相撲 宮本峯一作
常石張り子は、初代の宮本九平氏が明治20年頃から始めました。初期は張り子ではなく、土人形であったといいます。しかし、不便な土地柄で、運搬のたびに破損が出るので、張り子に変えたのだそうです。

常石張り子、相撲(後ろ) 宮本峯一作
広島県のこの土地で、人形製作が行われるようになった要因の一つに、(※)八朔の行事が考えられます。
新粉(米の粉)で人形や馬をつくって飾ったり、男の子には張り子の馬を、女の子には紙人形を節句に飾る風習が、自家製から専門家の手によって委ねられたと言われています。
三代目、宮本義孝氏常石張り子は、平成3年の未年、平成12年の辰年の、年賀切手に採用されました。


(※八朔)旧暦の八月一日のこと。秋の収穫を前にして、豊作を喜び合った行事。田の実(稲の実)や馬節句(収穫や馬の労働に感謝)などといい、新粉で人形や馬をつくって飾ったり、男子には張り子の馬を、女子には張り子の馬を飾る。
参考資料
広島文化大百科
全国郷土玩具ガイド③ 畑野栄三著
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宮城県、仙台市の郷土玩具、堤人形
こんにちは、張り子作家、林史恵です。
いつも私のブログにお越し下さり、誠にありがとうございます。
張り子の玩具を制作、販売しておりますが、同時に日本各地の郷土玩具についてもお勉強させていただいております。
写真に使用させていただいている玩具は、主に、私が所属しており、大変お世話になっている、郷土玩具の会(竹とんぼの会)の、月に一度の例会で、紹介されているものです。
毎回貴重な玩具が沢山出てくるので、とても勉強になっております。本当に有難うございます。
今回ご紹介させていただきます郷土玩具は、こちらです。

宮城県、仙台市の郷土玩具、堤人形です。とても優美で、鮮やか、それでいて、とても繊細な一品ですね。

三毛猫の拡大画像です。こうやってみてみると、筆使いの繊細さがよく解りますね。

ネズミの拡大画像。猫から逃げているのか、猫と仲良く鯛の上にのっているのか…。様々なシーンを想像できる大変愉快な景色を、小さな世界の中に描いていますね。
宮城県、仙台市は、東北の玄関口と言われているそうです。
そこで制作されている堤人形は、岩手の花巻人形や、山形の相良人形と共に、東北の三大土人形として有名です。江戸初期に始まるといわれていて、京都の伏見人形などの影響を受けながら洗練された郷土色をもっている玩具です。
北仙台駅を下車し、いずれも徒歩で行くことが出来る範囲に、有名な堤人形の生産者の家がが2つあります。
芳賀(はが)強氏と、佐藤吉夫氏です。

宮城県、仙台市の堤人形は、種類が多いことが有名です。
その代表が、昭和58年の年賀切手にもなった、猪乗り金時です。その他にも、鯛担ぎ、滝昇り、子ども三番叟(さんばそう)、敦盛、犬ひき花魁、花笠おどり、静御前などがあります。
堤人形の一つ、「芥子(けし)」について
写真がないため、画像をご紹介できないことが残念ですが、芥子(けし)と呼ぶ、男女一対の、童の座った姿の堤人形があります。高さ5センチほどです。
この人形は、「堤焼きの便所の神」と言われ、便所の隅に棚を作り、二体を祀り、便所の守り神として親しまれてきたそうです。また、縁談、出産祈願としても親しまれてきました。願い事がかなった時には、一体を返納し、また新しい一体を添えたといいます。
●参考資料
全国郷土玩具ガイド① 畑野栄三著
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こちらは私が「紙世ハル(かみよはる)」のペンネームで活動している、張り子の現代アートを扱ったホームページです。
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写真に使用させていただいている玩具は、主に、私が所属しており、大変お世話になっている、郷土玩具の会(竹とんぼの会)の、月に一度の例会で、紹介されているものです。
毎回貴重な玩具が沢山出てくるので、とても勉強になっております。本当に有難うございます。
今回ご紹介させていただきます郷土玩具は、こちらです。

宮城県、仙台市の郷土玩具、堤人形です。とても優美で、鮮やか、それでいて、とても繊細な一品ですね。

三毛猫の拡大画像です。こうやってみてみると、筆使いの繊細さがよく解りますね。

ネズミの拡大画像。猫から逃げているのか、猫と仲良く鯛の上にのっているのか…。様々なシーンを想像できる大変愉快な景色を、小さな世界の中に描いていますね。
宮城県、仙台市は、東北の玄関口と言われているそうです。
そこで制作されている堤人形は、岩手の花巻人形や、山形の相良人形と共に、東北の三大土人形として有名です。江戸初期に始まるといわれていて、京都の伏見人形などの影響を受けながら洗練された郷土色をもっている玩具です。
北仙台駅を下車し、いずれも徒歩で行くことが出来る範囲に、有名な堤人形の生産者の家がが2つあります。
芳賀(はが)強氏と、佐藤吉夫氏です。

宮城県、仙台市の堤人形は、種類が多いことが有名です。
その代表が、昭和58年の年賀切手にもなった、猪乗り金時です。その他にも、鯛担ぎ、滝昇り、子ども三番叟(さんばそう)、敦盛、犬ひき花魁、花笠おどり、静御前などがあります。
堤人形の一つ、「芥子(けし)」について
写真がないため、画像をご紹介できないことが残念ですが、芥子(けし)と呼ぶ、男女一対の、童の座った姿の堤人形があります。高さ5センチほどです。
この人形は、「堤焼きの便所の神」と言われ、便所の隅に棚を作り、二体を祀り、便所の守り神として親しまれてきたそうです。また、縁談、出産祈願としても親しまれてきました。願い事がかなった時には、一体を返納し、また新しい一体を添えたといいます。
●参考資料
全国郷土玩具ガイド① 畑野栄三著
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秋田県の八橋(やばせ)人形
こんにちは、張り子作家、林史恵です。今日は、秋田県の八橋(やばせ)人形について、ご紹介させていただきます。

八橋人形、鳩笛(はとぶえ)
八橋(やばせ)人形は、秋田県横手市の中山人形と並ぶ、県を代表する土人形です。有名な製作者は、高松茂子氏と、道川トモ氏です。残念ながら、高松茂子氏は平成元年に亡くなられました。道川トモ氏は、指導者として、後継者養成事業を試みられているそうです。
八橋人形の目玉商品は、木製の台にどっかりと座る、立派なひげの天神様です。その他にも、雛人形の段飾り、花魁、えびす大黒など、残されている型は、100種類以上にのぼると言われています。
八橋(やばせ)人形の歴史
江戸後期、天明元年(1781)京都の伏見人形の人形師、久保田という方が、秋田県八橋の地に移り住み、その近くの、川尻鍋子山で、土人形や、日用に使用する雑器を焼いたのが始まりです。
その後、一時は途絶えてしまいますが、文政年間(1818~30)、箱岡毘沙門天(現在の八橋運動公園のあたりだそうです)の就職が、京都の人形師の制作した土人形から型を起こし、土人形をつくり、毘沙門天の祭礼に売り始めて復興させたのだそうです。
当時、箱岡毘沙門天のあたりは、他にも神社がいくつかあり、参詣者目当ての芝居小屋や茶屋もあり、歓楽街であったといわれています。
天保、弘化年間(1830~48)頃は、北前船が、秋田港に立ち寄り、その際、京都の伏見人形も出回ったそうです。
それらの伏見人形を模して、八橋人形の種類は、より増えていったといいます。
八橋では、男の子には、八橋人形の天神様、女の子には雛人形を飾る習慣が広まり、八橋人形を業とする人が、数十件にも登ったと言われています。
●参考資料
全国郷土玩具ガイド① 畑野栄三著
私のホームページです。のぞいてみてください(ノ´∀`*)
江戸張り子で有名な、犬張子を製作、販売しております。
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八橋人形、鳩笛(はとぶえ)
八橋(やばせ)人形は、秋田県横手市の中山人形と並ぶ、県を代表する土人形です。有名な製作者は、高松茂子氏と、道川トモ氏です。残念ながら、高松茂子氏は平成元年に亡くなられました。道川トモ氏は、指導者として、後継者養成事業を試みられているそうです。
八橋人形の目玉商品は、木製の台にどっかりと座る、立派なひげの天神様です。その他にも、雛人形の段飾り、花魁、えびす大黒など、残されている型は、100種類以上にのぼると言われています。
八橋(やばせ)人形の歴史
江戸後期、天明元年(1781)京都の伏見人形の人形師、久保田という方が、秋田県八橋の地に移り住み、その近くの、川尻鍋子山で、土人形や、日用に使用する雑器を焼いたのが始まりです。
その後、一時は途絶えてしまいますが、文政年間(1818~30)、箱岡毘沙門天(現在の八橋運動公園のあたりだそうです)の就職が、京都の人形師の制作した土人形から型を起こし、土人形をつくり、毘沙門天の祭礼に売り始めて復興させたのだそうです。
当時、箱岡毘沙門天のあたりは、他にも神社がいくつかあり、参詣者目当ての芝居小屋や茶屋もあり、歓楽街であったといわれています。
天保、弘化年間(1830~48)頃は、北前船が、秋田港に立ち寄り、その際、京都の伏見人形も出回ったそうです。
それらの伏見人形を模して、八橋人形の種類は、より増えていったといいます。
八橋では、男の子には、八橋人形の天神様、女の子には雛人形を飾る習慣が広まり、八橋人形を業とする人が、数十件にも登ったと言われています。
●参考資料
全国郷土玩具ガイド① 畑野栄三著
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岡山県倉敷市の倉敷張り子、首振り牛です。
こんにちは、張り子作家、林史恵です。
今日は、岡山県倉敷市の倉敷張り子について、ご紹介いたします。

こちらは、倉敷張り子の干支物の一つ、首振り牛です。
岡山県倉敷市内の笹沖で、倉敷張り子4代目の、生水(おみず)幹一氏、長男の洋次氏、次男の哲男氏が制作されています。
生水氏の張り子は、とても様々な種類がありますが、その中でも有名なのが、『飾り虎』と呼ばれる首振りの虎です。
小型は7センチ、大型は1メートルを超えるものまで10種あり、この地方では端午の節句に欠かせないものだそうです。
牛を始めとした、十二支を張り子にしたのは、4代目幹一氏の創作です。
昭和36年には、この十二支の内、辰が、年賀切手に採用されています。

●参考資料
全国郷土玩具ガイド③ 畑野栄三著
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今日は、岡山県倉敷市の倉敷張り子について、ご紹介いたします。

こちらは、倉敷張り子の干支物の一つ、首振り牛です。
岡山県倉敷市内の笹沖で、倉敷張り子4代目の、生水(おみず)幹一氏、長男の洋次氏、次男の哲男氏が制作されています。
生水氏の張り子は、とても様々な種類がありますが、その中でも有名なのが、『飾り虎』と呼ばれる首振りの虎です。
小型は7センチ、大型は1メートルを超えるものまで10種あり、この地方では端午の節句に欠かせないものだそうです。
牛を始めとした、十二支を張り子にしたのは、4代目幹一氏の創作です。
昭和36年には、この十二支の内、辰が、年賀切手に採用されています。

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