- 古い犬張子です。
- 日本郷土玩具の会へ行って来ました。
- 私が張り子作家になったきっかけパート3
- 私が張り子作家になったきっかけパート2
- 私が張り子作家になったきっかけ パート1
- 吉見百穴
- オープニングパーティー
- 日本大学芸術学部美術学科 展示会
2012年02月 の記事一覧
古い犬張子です。
こんにちは。林史恵です。今日は、歴史的価値もある、大きな犬張子についてご紹介します。
2月の19日の郷土玩具の会で、私自身が犬張子を製作していることをお話しした際、制作の参考にと、ある骨董にお詳しい方に譲っていただいたのです。本当にありがとうございました!!
下の写真をご覧下さい。初めてこの犬張子を見たとき、あまりの迫力に飛び上がるような思いがいたしました( ゚∀゚ )この犬張子は“飯田型”という犬張子で、五代目、飯田省三氏が作ったものです。飯田型とは、東京に代々伝わる犬張子で、私が師匠の荒井良さんのもとで教わっている勅使川原型と並び称される有名な犬張子の一つです。三代目飯田新次郎氏は、昭和9年(1934年)皇太子誕生(1933年12月23日)のおりに、皇室に犬張子を献上したこともあるほどで、その技術は大変優れたものです。

周りの空間を全て取り込んでしまうかのようなド迫力ですね。大きさは、横の長さ38センチ、幅20センチ、高さ40センチ(かついでいるでんでん太鼓は除く)、規格の中では一番大きなものです。
部屋にあったエアコンのリモコン、携帯電話と共に写しました(笑)。大きさが伝わるといいのですが…

この流れるような筆遣いをご覧下さい!熟練した匠の技にしか出せない躍動感、ダイナミックさですね~。

こちらは正面から見た写真です。ひげも細い筆で繊細に描かれています。

洗練された形、巧みな筆遣い、愛嬌のある顔、どれをとっても完璧ですね。わたしは”はりこのはやしや”とは別の活動として、師匠と共に“飯田型”と並ぶ伝統の張り子、“勅使川原型”を復刻させる活動をしていたことがありますが、このような素晴らしい伝統に携わることができて、とても光栄に思います。
お譲りいただいたこの犬張子は、我が家の家宝として大切にするとともに、今後の製作に活かしたいです。
私のホームページです。のぞいてみてください(ノ´∀`*)
はりこのはやしや ホームページ
2月の19日の郷土玩具の会で、私自身が犬張子を製作していることをお話しした際、制作の参考にと、ある骨董にお詳しい方に譲っていただいたのです。本当にありがとうございました!!
下の写真をご覧下さい。初めてこの犬張子を見たとき、あまりの迫力に飛び上がるような思いがいたしました( ゚∀゚ )この犬張子は“飯田型”という犬張子で、五代目、飯田省三氏が作ったものです。飯田型とは、東京に代々伝わる犬張子で、私が師匠の荒井良さんのもとで教わっている勅使川原型と並び称される有名な犬張子の一つです。三代目飯田新次郎氏は、昭和9年(1934年)皇太子誕生(1933年12月23日)のおりに、皇室に犬張子を献上したこともあるほどで、その技術は大変優れたものです。

周りの空間を全て取り込んでしまうかのようなド迫力ですね。大きさは、横の長さ38センチ、幅20センチ、高さ40センチ(かついでいるでんでん太鼓は除く)、規格の中では一番大きなものです。
部屋にあったエアコンのリモコン、携帯電話と共に写しました(笑)。大きさが伝わるといいのですが…

この流れるような筆遣いをご覧下さい!熟練した匠の技にしか出せない躍動感、ダイナミックさですね~。

こちらは正面から見た写真です。ひげも細い筆で繊細に描かれています。

洗練された形、巧みな筆遣い、愛嬌のある顔、どれをとっても完璧ですね。わたしは”はりこのはやしや”とは別の活動として、師匠と共に“飯田型”と並ぶ伝統の張り子、“勅使川原型”を復刻させる活動をしていたことがありますが、このような素晴らしい伝統に携わることができて、とても光栄に思います。
お譲りいただいたこの犬張子は、我が家の家宝として大切にするとともに、今後の製作に活かしたいです。
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日本郷土玩具の会へ行って来ました。
こんにちは
林史恵です。今日は、日本郷土玩具の会に参加させていただき、師匠のもとでしている、郷土玩具復刻の活動や、自分がやっている“はりこのはやしや”としての活動を報告して参りました。また、その場で私の作った張り子の即売もさせていただきました。
このような機会をくださった郷土玩具の会の皆様、本当に有り難うございます。
日本郷土玩具の会とは、郷土玩具の蒐集、研究、保存、普及と育成を図ることを目的とする会です。昭和16年発足で、郷土玩具の同好会の中では日本で最も古い組織体です。例会は月一回行われていており、郷土玩具について書かれた会誌「竹とんぼ」を定期的に発行するなど、大変活動的な会です。毎回、集めた郷土玩具を持ち寄ります。その場で売ったりもしています。
こちらは売りのだされている郷土玩具です。全国各地の大変古いものから新しいものまで出ています。廃絶してしまったもあったりと、この会でしかみることができない貴重なものばかりです。

今日は師匠のもとで共に修行をしている妹弟子、前田真央さんと共に発表を行いました。向かって左が前田さん、右が私です。
こちらは師匠のもとでしている張り子です。原型である木型、それに紙を水張りし、はがしたもの、更に胡粉を塗ったもの、絵付けをしたものと、作業の工程がわかるよう展示しました。

こちらは妹弟子、前田さんの個人製作。左手前は去年行われた、武蔵野美術大学の文化祭で大好評だった埴輪の人形やそのグッズです。独創的で微笑ましいものばかり(^^)、前田さんの埴輪の説明のときは、発表を聴いていた郷土玩具の会の方々も笑顔で温かい雰囲気でした。また右手前は彼女の故郷でもある長崎のくじら車。
両ヒレが首振りの原理で揺れるなど、技術的にも大変凝ったものです。

私も自分の張り子の即売をさせていただき、お陰様で大変好評でした。購入してくださった方々、また、私の話を聞いてくださった方々、本当に有り難うございます。

現在、日本郷土玩具の会での発表を終えて、大変ほっとしております。
郷土玩具や骨董に関しては図書館より詳しい方々ばかりで、その中での発表は緊張しましたが、皆様大変親切で、発表の後は色々な情報を教えて下さいました。知らないことや初めて見るものも多く、まだまだ修行が足りないな、と感じてしまいました。これからも郷土玩具の知識を磨くべく、日本郷土玩具の会で勉強していきたいです。
私のホームページです。のぞいてみてください(ノ´∀`*)
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林史恵です。今日は、日本郷土玩具の会に参加させていただき、師匠のもとでしている、郷土玩具復刻の活動や、自分がやっている“はりこのはやしや”としての活動を報告して参りました。また、その場で私の作った張り子の即売もさせていただきました。
このような機会をくださった郷土玩具の会の皆様、本当に有り難うございます。
日本郷土玩具の会とは、郷土玩具の蒐集、研究、保存、普及と育成を図ることを目的とする会です。昭和16年発足で、郷土玩具の同好会の中では日本で最も古い組織体です。例会は月一回行われていており、郷土玩具について書かれた会誌「竹とんぼ」を定期的に発行するなど、大変活動的な会です。毎回、集めた郷土玩具を持ち寄ります。その場で売ったりもしています。
こちらは売りのだされている郷土玩具です。全国各地の大変古いものから新しいものまで出ています。廃絶してしまったもあったりと、この会でしかみることができない貴重なものばかりです。

今日は師匠のもとで共に修行をしている妹弟子、前田真央さんと共に発表を行いました。向かって左が前田さん、右が私です。

こちらは師匠のもとでしている張り子です。原型である木型、それに紙を水張りし、はがしたもの、更に胡粉を塗ったもの、絵付けをしたものと、作業の工程がわかるよう展示しました。

こちらは妹弟子、前田さんの個人製作。左手前は去年行われた、武蔵野美術大学の文化祭で大好評だった埴輪の人形やそのグッズです。独創的で微笑ましいものばかり(^^)、前田さんの埴輪の説明のときは、発表を聴いていた郷土玩具の会の方々も笑顔で温かい雰囲気でした。また右手前は彼女の故郷でもある長崎のくじら車。
両ヒレが首振りの原理で揺れるなど、技術的にも大変凝ったものです。

私も自分の張り子の即売をさせていただき、お陰様で大変好評でした。購入してくださった方々、また、私の話を聞いてくださった方々、本当に有り難うございます。

現在、日本郷土玩具の会での発表を終えて、大変ほっとしております。
郷土玩具や骨董に関しては図書館より詳しい方々ばかりで、その中での発表は緊張しましたが、皆様大変親切で、発表の後は色々な情報を教えて下さいました。知らないことや初めて見るものも多く、まだまだ修行が足りないな、と感じてしまいました。これからも郷土玩具の知識を磨くべく、日本郷土玩具の会で勉強していきたいです。
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私が張り子作家になったきっかけパート3
こんにちは。林史恵です。
前回は、小川張り子の職人、嶋田重夫さんに出会うところまで書きました。
前回までの記事はこちらから
私が張り子作家になったきっかけパート1
私が張り子作家になったきっかけパート2
嶋田重夫さんは、大変気さくで穏やかで、でも奥深さも持っている素晴らしい方でした。その何日か後、自宅に招待してくださり、そこで初めて嶋田さんは、小川張り子の職人であるとともに、日本でただ一人の張り子紙専用の紙をすく、伝統の紙漉き職人であることも知りました。
そこで手づくりの張り子を作る、伝統の手法を目の前で実演していただき、あぁ、手づくりの技法はなんて温かみのあるものなのだと、私も手づくりの張り子を作る仕事がしたいと心から思うようになりました。
嶋田さんから張り子紙を分けてもらい、家で張り子製作を行いながら、他にも手張りで張り子を作る職人さんはいないかとさがしていたら、千葉の佐原に、鎌田さんという職人さんがいらっしゃることを知り、事前に電話をし、訪ねることにしました。鎌田さんは忙しい合間を縫って会ってくださり、”三浦屋”という、ご自身の作品が売られている喫茶店や、張り子教室もしているという工房も見せていただきました。
鎌田さんは、ご存じの方もいるかと思いますが、童話に出てきそうな優しげな雰囲気を持った方で、作品も、そのお人柄がにじみ出ているようなとても趣深いものでした。“餅つきうさぎ”という作品が有名で、平成11年の年賀切手にも採用されています。
弟子にしていただけるかお願いしてみたのですが、やはり千葉と埼玉では距離がありすぎるとのことでした。
しかし、なんと!なんと!!鎌田さんは私の帰り際に、ある方の連絡先を教えて下さったのです。その方は、張り子の域を超越したような芸術作品を作る方で、ベストセラー小説の表紙を手がけていることでも有名です。前から存じており、個展を見に行ったりしていましたし、画集もすでに持っていたのですが、私にとっては雲の上の存在で、なかなか現実味が湧いてこず、電話をかける決心がつくまで数週間かかってしまいました。
その方に、私は師事をし、張り子を学んだのです。
現在は、師のもとを独立し、独自ブランド、はりこのはやしやを運営しております。
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(ノ´∀`*)
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前回は、小川張り子の職人、嶋田重夫さんに出会うところまで書きました。
前回までの記事はこちらから
私が張り子作家になったきっかけパート1
私が張り子作家になったきっかけパート2
嶋田重夫さんは、大変気さくで穏やかで、でも奥深さも持っている素晴らしい方でした。その何日か後、自宅に招待してくださり、そこで初めて嶋田さんは、小川張り子の職人であるとともに、日本でただ一人の張り子紙専用の紙をすく、伝統の紙漉き職人であることも知りました。
そこで手づくりの張り子を作る、伝統の手法を目の前で実演していただき、あぁ、手づくりの技法はなんて温かみのあるものなのだと、私も手づくりの張り子を作る仕事がしたいと心から思うようになりました。
嶋田さんから張り子紙を分けてもらい、家で張り子製作を行いながら、他にも手張りで張り子を作る職人さんはいないかとさがしていたら、千葉の佐原に、鎌田さんという職人さんがいらっしゃることを知り、事前に電話をし、訪ねることにしました。鎌田さんは忙しい合間を縫って会ってくださり、”三浦屋”という、ご自身の作品が売られている喫茶店や、張り子教室もしているという工房も見せていただきました。
鎌田さんは、ご存じの方もいるかと思いますが、童話に出てきそうな優しげな雰囲気を持った方で、作品も、そのお人柄がにじみ出ているようなとても趣深いものでした。“餅つきうさぎ”という作品が有名で、平成11年の年賀切手にも採用されています。
弟子にしていただけるかお願いしてみたのですが、やはり千葉と埼玉では距離がありすぎるとのことでした。
しかし、なんと!なんと!!鎌田さんは私の帰り際に、ある方の連絡先を教えて下さったのです。その方は、張り子の域を超越したような芸術作品を作る方で、ベストセラー小説の表紙を手がけていることでも有名です。前から存じており、個展を見に行ったりしていましたし、画集もすでに持っていたのですが、私にとっては雲の上の存在で、なかなか現実味が湧いてこず、電話をかける決心がつくまで数週間かかってしまいました。
その方に、私は師事をし、張り子を学んだのです。
現在は、師のもとを独立し、独自ブランド、はりこのはやしやを運営しております。
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私が張り子作家になったきっかけパート2
こんにちは。林史恵です。
前回の記事では、鈴幸人形店へ行こうと決心したところまで書きました。
前回の記事はこちらをご覧下さい
私が張り子作家になったきっかけパート1
北越谷駅から歩いて20分程のところに、鈴幸人形店はありました。そこでも店長で職人の鈴木さんと奥さんが温かく出迎えてくださいました。鈴木さんは少し緊張していた私を気遣って、「よくきましたね。私も若い頃、商品を売り込みに行く際は緊張したんですよ」と言ってくださり、とても元気づけられたのを覚えいます。
お話を聞いてみると、鈴幸は張り子ではなく、おがくずを固めて作る“練り物”という技法を使っていることを知り、練り物にも興味が湧いて来ました。
その後、家で調べてみると、雛人形の顔も、練り物で作られているとの事でした。そして、練り物で雛人形の頭を作る頭師(かしらし)的場さんという職人さんが、埼玉県鴻巣市に住んでいらっしゃることを知り、会ってみたいと考えました。更に調べていると、埼玉県小川町の伝統工芸会館で行われるイベントで、的場さんが雛人形の絵つけ体験を行うことを知り、参加させていただくことにしました。
イベント会場で的場さんの作った雛人形に絵付けをすることで、頭師の技術の繊細さを感じることが出来ましたが、私の入ったときは他にもお客さんがいて、忙しそうにしていたため、残念ながらお話を聞く時間はありませんでした。
しかし!なんと!おなじ会場で張り子のお店が出展されているのを見つけたのです!その頃の私はまだまだ張り子の知識が浅く、調査が進んでいなかったのですが、埼玉県小川町には”小川張り子”という有名な張り子があり、嶋田重夫さんと、その奥様、実子さんが作っていらっしゃいます。
私は興奮する気持ちを抑えつつ、お客さんが引くのを見計らって早速ご挨拶し、私も張り子の作り方を知りたいということをお伝えしました。
次回に続きます。
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前回の記事では、鈴幸人形店へ行こうと決心したところまで書きました。
前回の記事はこちらをご覧下さい
私が張り子作家になったきっかけパート1
北越谷駅から歩いて20分程のところに、鈴幸人形店はありました。そこでも店長で職人の鈴木さんと奥さんが温かく出迎えてくださいました。鈴木さんは少し緊張していた私を気遣って、「よくきましたね。私も若い頃、商品を売り込みに行く際は緊張したんですよ」と言ってくださり、とても元気づけられたのを覚えいます。
お話を聞いてみると、鈴幸は張り子ではなく、おがくずを固めて作る“練り物”という技法を使っていることを知り、練り物にも興味が湧いて来ました。
その後、家で調べてみると、雛人形の顔も、練り物で作られているとの事でした。そして、練り物で雛人形の頭を作る頭師(かしらし)的場さんという職人さんが、埼玉県鴻巣市に住んでいらっしゃることを知り、会ってみたいと考えました。更に調べていると、埼玉県小川町の伝統工芸会館で行われるイベントで、的場さんが雛人形の絵つけ体験を行うことを知り、参加させていただくことにしました。
イベント会場で的場さんの作った雛人形に絵付けをすることで、頭師の技術の繊細さを感じることが出来ましたが、私の入ったときは他にもお客さんがいて、忙しそうにしていたため、残念ながらお話を聞く時間はありませんでした。
しかし!なんと!おなじ会場で張り子のお店が出展されているのを見つけたのです!その頃の私はまだまだ張り子の知識が浅く、調査が進んでいなかったのですが、埼玉県小川町には”小川張り子”という有名な張り子があり、嶋田重夫さんと、その奥様、実子さんが作っていらっしゃいます。
私は興奮する気持ちを抑えつつ、お客さんが引くのを見計らって早速ご挨拶し、私も張り子の作り方を知りたいということをお伝えしました。
次回に続きます。
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私が張り子作家になったきっかけ パート1
こんにちは、林史恵です。今日は私が張り子の作家になるきっかけをお話しします。
私が張り子に興味を持ったきっかけは、小学生の低学年の頃、東京の土産物屋さんで犬張子を見たのがきっかけです。
丸い顔とくっきりした顔立ちが印象的で、当時から絵を書いたり工作をするのが好きだった私は、いつかは私もこの犬張子のような可愛い玩具を自分でも作ってみたいと思うようになりました。
そして時が経ち、大学に進学して以前よりも自分の好きなことをする余裕が生まれたとき、ふと小さな頃印象に残っていた、あの犬の土産物について調べてみることにしました。するとそれは張り子という伝統工芸品で、紙で作られたものであると知ったのです。
大学3年生になり、周囲が就職活動をしだした頃、私は、何とかして張り子の職人に弟子入りできないかと思うようになりました。
そこで最初に行ったのが、群馬県高崎市にあるだるまの工場『大門屋』です。職人さんは商談中でお話を聞くことは出来なかったのですが、広い工場に、大きいダルマや小さいだるまがキャンディーみたいに棒にささって立っている光景を見て、ワクワクしたのを覚えています。
その後、自分の住んでいる埼玉県にもだるま工場があると知り、電話で事前にお願いし向かったのが、埼玉県越谷市にある『荻野だるま製作所』です。そこでは社長で職人さんの荻野芳雄さんが心良く出迎えてくださり、昔のだるまや、原型であるだるまの木型を見せてくださったり、お父様である先代の話を詳しく教えてくださったりしました。
ぜひ私もここで働きたい!と思い、自分も働かせてくださらないかとお願いしてみたのですが、残念だけれど人手は足りているとのことでした。
しかし、その後も、埼玉県小川町の伝統工芸会館で行われたダルマのイベントで出店中の荻野さんに久しぶりに会った際、なんと覚えていて下さり、気さくに話をして下さいました。
荻野だるま製作所を調べたことで、越谷周辺には複数だるま工場があることを知ったのですが、その流れで、越谷には『鈴幸(すずこう)』という、犬張子を作る工場があることを知り、訪ねることにしました。
次回に続きます。
私のホームページです。覗いてみてください(^^ゞ
はりこのはやしや
吉見百穴
こんにちは。林史恵です。今日は夫と共に、埼玉県吉見町にある国指定史跡、吉見百穴へ行って来ました。
吉見百穴とは、いまから約1300年前の古墳時代終末期の横穴墓群で、現在219の穴が数えられています。傾斜のきついところでしたが、気持ちの良い自然の景色とおいしい空気のお陰で、まったく疲れることなくめぐることが出来ました。
たくさんある穴のうち、いくつかはのぞくことができます。中は狭くて人一人入るのがやっとです。床はベットの様な形をした盛り上がりがあり、ここに遺体が眠っていたのだろうと想像できます。皆さんも百穴へ行ったら、ぜひ、穴の中をじっと眺めてみてください。なんとも言えない気分になります。きっとこれが、“歴史のロマンを感じる”というやつです。

また、明治20年、当時帝大(現東京大学)大学院生だった、坪井正五郎博士が発掘調査を行い、土器類など、多数の遺物が出土したところでもあります。そのためか、休憩所ではこんなイケメンが出迎えてくれます(ノ´∀`*)

また、第二次世界大戦のころ、地下軍需工場用に掘られた軍需工場跡も同じ敷地内にあり、入ることが出来ました。かつては人が沢山働く所だったのでしょうが、今では静かでひんやりとしていて、神秘的な場所に変わっていました。

百穴へ訪れる客層はさまざまでした。カップルも多く、高いヒールの靴をコツコツ言わせながら傾斜を登っていく姿が印象的でした。また、おみやげ屋さんも何軒かあり、温かい甘酒も売っています。
皆さんも古代の香りを感じて見ませんか?
交通案内
東武東上線“東松山駅”東口下車バスにて“鴻巣免許センター行き”約5分
吉見百穴管理事務所
0493(54)4541
郵便番号355ー0155
埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324
私のホームページです。のぞいてみてください(ノ´∀`*)
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吉見百穴とは、いまから約1300年前の古墳時代終末期の横穴墓群で、現在219の穴が数えられています。傾斜のきついところでしたが、気持ちの良い自然の景色とおいしい空気のお陰で、まったく疲れることなくめぐることが出来ました。
たくさんある穴のうち、いくつかはのぞくことができます。中は狭くて人一人入るのがやっとです。床はベットの様な形をした盛り上がりがあり、ここに遺体が眠っていたのだろうと想像できます。皆さんも百穴へ行ったら、ぜひ、穴の中をじっと眺めてみてください。なんとも言えない気分になります。きっとこれが、“歴史のロマンを感じる”というやつです。

また、明治20年、当時帝大(現東京大学)大学院生だった、坪井正五郎博士が発掘調査を行い、土器類など、多数の遺物が出土したところでもあります。そのためか、休憩所ではこんなイケメンが出迎えてくれます(ノ´∀`*)

また、第二次世界大戦のころ、地下軍需工場用に掘られた軍需工場跡も同じ敷地内にあり、入ることが出来ました。かつては人が沢山働く所だったのでしょうが、今では静かでひんやりとしていて、神秘的な場所に変わっていました。

百穴へ訪れる客層はさまざまでした。カップルも多く、高いヒールの靴をコツコツ言わせながら傾斜を登っていく姿が印象的でした。また、おみやげ屋さんも何軒かあり、温かい甘酒も売っています。
皆さんも古代の香りを感じて見ませんか?
交通案内
東武東上線“東松山駅”東口下車バスにて“鴻巣免許センター行き”約5分
吉見百穴管理事務所
0493(54)4541
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埼玉県比企郡吉見町大字北吉見324
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オープニングパーティー
こんにちは、林史恵です。
2月4日にギャラリー絵夢で行われた、日本大学芸術学部美術学科 絵画専攻 卒業・修了制作展のオープニングパーティーへ行って来ました。私も卒業生として、この日を楽しみにしていたのです♡会場には、今年卒業見込みの4年生を始めとして、教授や大学院生、卒業生らが集まり、テーブルの上の食事を囲み、大変賑わっておりました。

私も大学院へ進んだ同級生と久しぶりに再開し、懐かしさの余り話が止まりませんでした。
また、今回の展示は、4年生にとって、大学生活の集大成でもあります。いろいろな思いを込めて描いたことでしょう。どの絵も個性的で、みていて思わず笑ってしまう絵や、おお!写実的…と見入ってしまう絵、なぜだか引きこまれてしまう絵など色々あり、とても刺激になりました。
その中の何点かを紹介させて頂きます。

上の作品は、吉原沙織さんの作品『硝子の花』
鮮やかな色使いと、キレのある筆遣いが心地よいですね。

続いては、豊田佳菜子さんの作品、『僕の十字架』
淡い美しい世界観の中でもしっかりと女性が描かれており、作者の技術を感じます。

さいごは西美樹子さんの『JupiterⅡ』
細部まで気を抜かず、とても細かく描写されています。幻想的で、楽しいこの絵の世界に、迷い込んでしまいそうです。
今回は、たくさんの作家のタマゴたちの絵を見て、あぁ、私も負けていられないなと気持ちの引き締まる思いがいたしました。このような素敵な展示を企画してくださった、ギャラリー絵夢の職員の方々、日芸の教授や、4年生の皆様に、心から感謝いたします。
展示は2月8日までやっています。ぜひ言ってみてください(^^)

私のホームページです。のぞいてみてください(ノ´∀`*)
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2月4日にギャラリー絵夢で行われた、日本大学芸術学部美術学科 絵画専攻 卒業・修了制作展のオープニングパーティーへ行って来ました。私も卒業生として、この日を楽しみにしていたのです♡会場には、今年卒業見込みの4年生を始めとして、教授や大学院生、卒業生らが集まり、テーブルの上の食事を囲み、大変賑わっておりました。

私も大学院へ進んだ同級生と久しぶりに再開し、懐かしさの余り話が止まりませんでした。
また、今回の展示は、4年生にとって、大学生活の集大成でもあります。いろいろな思いを込めて描いたことでしょう。どの絵も個性的で、みていて思わず笑ってしまう絵や、おお!写実的…と見入ってしまう絵、なぜだか引きこまれてしまう絵など色々あり、とても刺激になりました。
その中の何点かを紹介させて頂きます。

上の作品は、吉原沙織さんの作品『硝子の花』
鮮やかな色使いと、キレのある筆遣いが心地よいですね。

続いては、豊田佳菜子さんの作品、『僕の十字架』
淡い美しい世界観の中でもしっかりと女性が描かれており、作者の技術を感じます。

さいごは西美樹子さんの『JupiterⅡ』
細部まで気を抜かず、とても細かく描写されています。幻想的で、楽しいこの絵の世界に、迷い込んでしまいそうです。
今回は、たくさんの作家のタマゴたちの絵を見て、あぁ、私も負けていられないなと気持ちの引き締まる思いがいたしました。このような素敵な展示を企画してくださった、ギャラリー絵夢の職員の方々、日芸の教授や、4年生の皆様に、心から感謝いたします。
展示は2月8日までやっています。ぜひ言ってみてください(^^)

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日本大学芸術学部美術学科 展示会
こんにちは。林史恵です。
明日、新宿にあるギャラリー“絵夢”で行われる、日本大学芸術学部美術学科、絵画専攻 卒業・修了制作選抜展のオープニングパーティーへ行ってきます。
私も日芸の卒業生として、後輩の作品をみることを楽しみにしています。


明日、新宿にあるギャラリー“絵夢”で行われる、日本大学芸術学部美術学科、絵画専攻 卒業・修了制作選抜展のオープニングパーティーへ行ってきます。
私も日芸の卒業生として、後輩の作品をみることを楽しみにしています。

