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2012年06月 の記事一覧

GALLERY花影抄 川崎みなみ展

こんにちは、張り子作家、林史恵です。
6月30日、GALLERY花影抄で行われている展示会、川崎みなみ展「Home sweet home」を見て参りましたので、報告させていただきます。

川崎みなみ氏は、1989年生まれ。お若いながらアートの第一線でご活躍なさっている新鋭のアーティスト。羊毛を使い、可愛らしい犬の作品を作る作家として有名です。

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こちらは女子美術大学時代の卒業制作、「Home sweet home」
柔らかくて繊細な犬…。
犬が大好きという川崎氏、ご自宅ではパピヨンを飼っているとのことでした。
私は飼い犬と作品の犬とは犬種が違うところに興味を惹かれ、聞いてみたところ、特に犬種は特定しておらず、身近に感じている大好きな犬の好きなところを集めてかたちにした「象徴」としての白い犬なのだそうです。

“犬”そのものの自然なイメージが、この作品に詰まっているのでしょう。

そして川崎みなみ氏ご本人も、作品に負けないくらい、柔らかい雰囲気で、自然体な笑顔の可愛らしい方でした。
作品と作者はリンクしているのですね。
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大きさを比較するために私も登場。いただいたDMに載っていた写真でイメージしたものより大きかったので驚きです。
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顔がよく見える向きから。柔らかで癒されます。
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抱えて持ち帰りたいくらいですが、洒落になりませんね。

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こちらは粘土による作品。「Home sweet home」のための習作だそうです。羊毛による作品になるのが楽しみですね。

作品を見て、こんなにやわらかな温かい気持ちになれたのは初めてです。
川崎みなみ氏、花影抄の方々、素敵な展示会をありがとうございます。



GALLERY花影抄
川崎みなみ展「Home sweet home」
6月23日~7月1日
東京都文京区根津 1-1-14 らーいん根津202

花影抄について書いた過去記事はこちら
gallery花影抄 Kengtaro glass works

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中野土人形

こんにちは、張り子作家、林史恵です。
6月24日に行われた郷土玩具の例会のテーマは、中野土人形でした。当日、私はカメラを持って行く事を忘れ、急きょ、コンビニで使い捨てカメラを購入したのですが、現像してみたら全てピンぼけ!
ということで、今回は同じ郷土玩具の会の会員、前田真央様から画像を提供していただきました。
前田真央様、本当に有難うございます。

中野土人形の歴史など詳しいことは前回の記事をご覧ください
  ↓↓↓
郷土玩具の会レポート、中野土人形

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郷土玩具の例会でお話されている、中野土人形の職人、五代目、奈良久雄氏(向かって右)息子さんで、久雄氏の後を継がれる由紀夫氏(左)です。五代目、久雄氏は、丸い顔をした、優しい話し方をする方で、集まった人々を和ませていらっしゃいました。
息子さんの由紀夫氏は、そんな久雄氏の隣で控えめに座っておりましたが、後継者としての決意を感じるような、芯の強さをまとっておりました。
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お二人が持ってきて下さった、中野土人形です。もちろんお二人が伝統の手法により、手作りされたものです。
お話の後、これらは郷土玩具の会の方々に即売されました。
抽選番号順に購入できるのですが、なるべく早い抽選番号になるよう…、そして抽選後は自分より早い番号の人が自分の買いたい人形を先に買って行かぬよう…、玩具の会一同、祈っていたと思います。

郷土玩具の会の会員は、郷土玩具の調査とともに、収集にも力を入れている方々が多いのです。このような場面では、思いもひとしおであったことでしょう。

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↑こちらは五代目、奈良久雄氏の作品“巳乗り升(みのります)”という名前だそうです。縁起の良い響きですね

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↑こちらも五代目、奈良久雄氏の作品、“童子のり童子”久雄氏が創作されたものです。先代たちの伝統も大切にしながら、このように独創的な創作もされているのですね。
赤ちゃんの上に赤ちゃんなんて!すごいアイデアですね。現代アートを見ているようです。このような図は現実の世界では考えられない光景ですが、技術の高さ故、自然に見えてしまうのです。不思議ですね。

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↑ここからは奈良久雄氏の息子さん、由紀夫氏制作した作品です。福を呼びそうな可愛らしい顔ですね。こちらまで笑顔になってしまいます。梅模様の着物が下から見えるところもオシャレです。
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こちらも奈良由紀夫氏の“狆乗り童子”で、前田真央様が購入されたものです。白い色を活かしたデザイン、シンプルでいいですね。何を見上げているのでしょう。
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顔の拡大

奈良久雄氏、由紀夫氏、またお二人をサポートするために、お二人とともに長野からいらして下さった方々、素敵なお話と作品を本当に有難うございます。

中野土人形の歴史など詳しいことは前回の記事をご覧ください
  ↓↓↓
郷土玩具の会レポート、中野土人形


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郷土玩具の会レポート 長野の中野土人形

こんにちは、張り子作家、林史恵です。昨日、3月25日、郷土玩具の会へ行って参りましたので報告させていただきます。
昨日のテーマは“中野土人形”でした。
五代目の奈良久雄氏、息子さんで、久雄氏のあとを継ぐ由紀夫氏、そしてそのお二人をサポートする方々が、朝早く長野から、郷土玩具の会の会場である秋葉原、万瀬橋会館まではるばる来てくださいました。


~中野土人形とは~

北信州に伝わる中野の土人形には、奈良家が制作する「中野人形」と、西原家が制作する「立ヶ花人形」があります。
 奈良家「中野人形」の主なものは京都伏見系、西原家「立ヶ花人形」は愛知三河系の流れを汲んでいます。
 この愛らしい中野土人形は、生活や風習に深く結びつき、古くから俗に「土びな」と呼び親しまれ、庶民に大切にされてきました。

奈良家の中野土人形は、現在の奈良由紀夫氏まで六代にわたり続いている郷土玩具です。

 江戸時代後期の文化・文政年間(1804-1828)に初代奈良栄吉氏が京都へ福寿草の商いに行き、伏見街道に並んだ土人形に心をひかれ、その人形型を譲り受け、更に夫婦者の職人を中野に呼び寄せ、作り方を習い制作したのが始まりといわれています。
 栄吉氏は京都伏見から約40回にわたって、百数十個の人形を持ち帰ったと伝えられます。

(初代栄吉)
 栄吉氏は穀屋(米や)や菊海苔など手広く商いする非常に商売上手な人だったそうです。大柄であったとも伝えられています。推定年齢60歳以降に、既になくなっていた奈良七良兵エ氏の養子になりました。これは、奈良家の敷地内にあった天神社で仕事をしていた栄吉氏が、没落していた奈良家を立て直すためであったのだそうです。奈良家に恩を感じていたと言われています。

天神社の使いで京都に行く機会が多く、それが伏見人形との出会いと言われています。

(二代目豊吉)
新潟県新井市(現妙高市)生まれ。幼少期から土人形職人として住みこみ、後に子供のいない栄吉の養子となりました。

(三代目五三郎、4代目政治)
五三郎氏は行商、政治氏は紺屋奉公をしながら人形制作をしました。政治氏は、病弱、戦争などで苦労しながらも、人形を作り続けたそうです。

(現在)
五代目久雄氏(80歳)、息子の由紀夫氏が、その伝統をうけ継いでいます。


系図

初代     奈良栄吉 文化3年(1806)~明治3年(1870)
2代(次男) 奈良豊吉 天保3年(1832)~大正5年(1916)
3代(長男) 奈良五三郎 文久3年(1863)~昭和12年(1937)
4代(次男) 奈良政治 明治33年(1900)~昭和34年(1959)
   (妻)  奈良いし 明治40年(1907)~昭和60年(1985)
5代(長男) 奈良久雄 昭和7年(1932)~現在


中野土人形の型について


 型の区分として、伏見人形から型取りされたものが多く、俵牛、神功皇后、踊り福助、這子、飾り馬などがあります。これらは、目鼻がはっきり浮き出る彫りの深い型で、彩色がされない素焼きのままの人形でも、十分鑑賞できるすばらしいものです。
 また、栄吉氏の時代に、型で持ち帰らず、伏見人形や博多人形を買い求め、これらの人形から型抜きしたものがあります。大天神、踊り子、熊踏金太郎、だるま恵比寿などがあります。代表作の「ふぐ乗り大黒」も、九州から伝わったものだと言われております。
 代を重ねるごとにオリジナル作品が増え、現在では教訓説話物や風俗物などを中心に約百数十種類余が制作されています。

参考ホームページ
日本土人形資料館だより

中野ひな市公式ホームページ


良久雄氏のお話を聞いて~
 五代目、久雄氏は、丸い顔をした、優しい話し方をする方で、集まった人々を和ませていらっしゃいました。
 息子さんの由紀夫氏は、そんな久雄氏の隣で控えめに座っておりましたが、後継者としての決意を感じるような、芯の強さをまとっておりました。
 
 そして先代から今に至るまでのお話は、大変感じ入るものがありました。資産家からの没落、また戦争などの時代の流れによって何度も危機に立たされながらも、大変質の高い伝統をまもり続けてきたのです。
 制作に使う土も、四代目までは自分で調達しなければならず、遠い畑まで歩いて土を集め、石ころをはじく作業も自分たち行っていたそうです。体力的にも精神的にも、並大抵のものではなかったと思われます。


 今回、奈良家の皆様は久しぶりに東京にお見えになられたとのことで、玩具の会が始まる前、上野の弁天様へお参りに行かれたそうです。
 そう嬉しそうに語る久雄氏。わたしはこころのあたたまる思いで、微笑みながら話を聴いていました。話を聴いていた玩具の会の人々みな、同じ気持ちだったと思います。
現在にわたって中野土人形が愛され続けているゆえんは、きっとこういった奈良家の方々のお人柄にもあるのだろうと、強く感じました。

奈良家の皆様、素敵なお話を本当にありがとうございます。


写真の載った記事はこちらからどうぞ
  ↓↓
中野土人形


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ブログの訂正について

こんにちは、林史恵です。
今日、郷土玩具の会でブログのご指摘を戴き、前回の記事を訂正させていただきました。
丁寧にご指摘いただき、本当にありがとうございます。
訂正の内容は以下のとおりです。


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香川県高松張子の代表的な張り子作家、宮内フサ氏について書いた記事

(訂正前)人間国宝宮内フサさん
    
   ↓(訂正)

(訂正後)昭和41年(1964),83歳で香川県文化功労者に選ばれた宮内フサさん
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訂正した記事はこちらです。
郷土玩具の会(2012年5月14日)

この度は大変ご迷惑をお掛けしました。
今後このようなことが無いよう、注意いたします。

島根県 出雲今市土人形

こんにちは、張り子作家、林史恵です。今日は、平成元年、島根県ふるさと伝統工芸品に指定され、今でも地元の人々の生活の中にある郷土玩具、“出雲今市土人形”について紹介させていただきます。
下の写真は前回の郷土玩具の会に出ていた、白天神です。
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“出雲今市土人形”は高橋茂三郎氏が江戸時代末期の頃、京都伏見の土人形の製法を見習い、作ったのが始まりといわれています。天神の他にも、武者人形、恵比須、大黒、太夫、娘、舞子などがあります。

この白天神は、出雲五色天神の一つであると思われます。出雲地方での天神様への信仰を背景とする「土天神(つちてんじん)」を起源としており、あがめながら暮らしのなかで子供達が愛玩するようになったのは江戸中期といわれています。
1970年、幕末に建てられたある商家の改築の折に発見されたこの「土天神」の型をもとに、「五常の礼節(ごじょうのれいせつ)」である「仁義礼智信(じんぎれいちしん)」の五色(黒・青・白・赤・緑)に彩り古式にのっとって復元したのだそうです。
現代でも、出雲地方の風物詩のひとつになっており、誕生祝い・節句での贈り物として人々に親しまれているそうです。

この白天神、先月の郷土玩具の会で出された玩具の中でもひときわ大きく、目を引きました。ぽってりとした顔立ちと品のある表情が印象的ですね。

参考サイト
ディスカバー島根


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長崎の土人形、古賀人形

こんにちは、張り子作家、、林史恵です。
長崎県の土人形、古賀人形についてご紹介いたします。、
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古賀人形、さる乗り馬

古賀人形は、長崎県の北高来郡古賀村(現長崎市)で作られてた郷土人形です。京都の伏見人形 宮城の堤人形とあわせて「日本の三大土人形」の一つです。江戸時代、 文禄元年(1592)旧長崎街道古賀で小川家三代目、小三郎氏が始めました。原色を取り入れた色使いが特徴的な土人形で、長崎の歴史や長崎で起こった様々なエピソードをベースに生まれたものが数多くみられます。

写真は古賀人形、さる乗り馬です。長崎街道をあずかっていた馬喰(ばくろう)のお守りとされてきました。

現在は19代目古賀人形職人、小川憲一氏が制作をしているそうです。

参考サイト
ナガジン


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はりこのはやしや、犬張子について

こんにちは、張り子作家、林史恵です。今日は浅草雷門真横の黒田屋本店にも置かれている、はりこのはやしや、うん、運、うなずき草子シリーズ第一弾、浮世絵の世界から飛び出した犬張子をご紹介いたします。
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縦15センチ、幅6センチ、高さ10.5センチの可愛らしい首振り犬張子。うん、うんと、あなたの為に頷いてくれる、心優しい縁起物です
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橋本周延 見立て十二支より 戌 神田明神宮参り(神田明神所蔵)

”浮世絵の世界から飛び出した犬張子”という名前になった由来は、”見立て十二支より 戌 神田明神宮参り”という浮世絵に登場する犬張子の顔を忠実に再現したことに由来します。明治にかけて、子供の初宮参りには、犬張子を贈る風習がありました。親類知人から犬張子をたくさんもらえればもらえるほど、その子供には良いことがあると言われてきました。現代にはない江戸らしさ、ひょうきんさをお楽しみください。

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橋本周延 見立て十二支より 戌 神田明神宮参り(国立国会図書館所蔵)


ちなみに神田明神所蔵の浮世絵は犬張子の目の周りがピンクがかっていますが、国立国会図書館所蔵の版はピンクが入っていません。退色というわけでもなさそうです。当店の犬張子の顔がピンクのぼかし入りとそうでないものの2種類あるのはそのためです。どちらも魅力的で可愛らしいですね。

黒田屋本店に関する前記事はこちら
黒田屋本店、出店!

犬張子の歴史はこちら
犬張子とは

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画像の無断転用はお断りいたします。



浅草 黒田屋本店 出店!

こんにちは。林史恵です。近頃荒井良先生のもとでやっている工房もんも情報が多かったのですが、今日は本題、はりこのはやしや情報です。
この度、浅草の雷門の向かって右側にある老舗、黒田屋本店に、はりこのはやしやの商品をおいていただくことが決定いたしました。というわけで、今日は黒田屋本店へ商談に行って参りましたので、報告させていただきます。

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↑おなじみ、雷門は浅草寺の山門です。正式名称は風雷神門(ふうらいじんもん)
初代の雷門に当たる門は942年につくられたそうです。
1960年、松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気だったころに浅草寺に拝み、そして、治ったためそのお礼として門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立したのだそうです。
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その雷門の右真横にあるのが老舗、黒田屋本店です。和紙を使った商品を扱っているお店です。場所柄、外国人客も多く、版画や張り子人形などを取扱っております。
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今回、黒田屋本店に置いていただくことになった商品です。はりこのはやしやのネットショップでは、“うん、運、うなずき草子シリーズ第一弾、浮世絵の世界から飛び出した犬張子”という名前で販売している当店イチオシ商品です。
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こちらも置いていただくことになった商品、金粒シリーズです。一寸の虫にも五分の魂…金粒は一寸の小さな小さな張り子ですが、その作りには伝統の技術を使った黄金の魂が込められています…


このような歴史ある大きなお店に一人で交渉に行くということは初めてで、大変緊張いたしました。交渉に向かうまでの電車内や道のり、ずっとちびまる子ちゃんに出てくる永沢君や、藤木君のような表情をしておりました。それとともに心臓が出てくるのではないかという症状に襲われ、黒田屋の入り口ではもう大変なことになってしまいました。しかし温かい黒田屋本店の雰囲気、とてもお優しくおきれいな店主、小池様や、店員の方々とお話ししている間に緊張もすっかりほぐれてしまい、最後は笑顔でお店を後にすることが出来ました。黒田屋本店の皆様、本当に有難うございます。

浅草へ言った際はぜひ、黒田屋へ行ってみてください。綺麗で珍しい和紙、張り子などの民芸品、ハガキ、レターセットなど、和の小物がたくさん売られています。
※黒田屋本店に置いていただくことになりましたが、在庫がない場合もございます。詳細は黒田屋本店にお問い合わせください。

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●黒田屋本店
クロダヤホンテン
●業種
紙工品、和紙
●住所
(〒111-0032)東京都台東区浅草1丁目2-5
●電話番号
03-3844-7511
●FAX番号
03-3844-7511

●営業時間
火水木金土日祝 11:00~19:00
休業日 月曜日
●アクセス
(最寄駅)
○東京メトロ銀座線・浅草駅徒歩1分
○都営浅草線・浅草駅徒歩1分
(その他)
雷門右真横
●駐車場

●クレジットカード
VISA、MASTER

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フィギュアスケート

こんにちは、林史恵です。
張り子情報ではなくて申し訳ないです。ちょっと自己紹介です。
2006年、トリノオリンピックで荒川静香選手が金メダルをとって以来、熱烈なフィギュアスケートファンです。
というわけで、よくこんな画像を見て心を落ち着けております。

動画主様、お借りいたします。
スターズオンアイス ジュピター 浅田真央

今年行われたアイスショー、スターズオンアイスのエキシビション、ジュピターです。
彼女のスーッと流れるようなスケーティングが大好きです。数年前、生で観戦したことがありますが、本当に美しかった…

また張り子に関する記事、アップいたしますので、お楽しみに。

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浅草紙のお話

こんにちは、林史恵です。今日はある方から面白いお話を聞かせていただいたので報告させていただきます。それは、“ひやかし”という言葉の語源。自分なりに先生の言葉をまとめてみました、もしお気づきの点等、有りましたらご指摘ください。

現在、張り子に使われる紙をすく職人は、埼玉県小川町、嶋田重夫氏のみとなってしまいました。(その他の用途にも仕える紙を漉く職人さんは少数いらっしゃるそうです)

しかし江戸時代には、浅草を中心として、帳簿などの使われなくなった紙を用いて紙をすく職人さんはたくさんいて、
それらの紙は“浅草紙”と呼ばれていたそうです。  ↓使われなくなった帳簿
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使われなくなった紙を再生させるには、まず最初、古紙を“ふやかす”必要があるのですが、浅草紙職人の業界用語でそれを“ひやかす”と言っていたそうです。

ひやかしている間、職人は時間が空いてしまいます。つまり暇なのです。そんなわけで、ふらふらと※吉原へ繰り出しました。
(※新吉原、郭(くるわ)と呼ばれる。1967(明暦3)年、日本橋にあった吉原が全焼したため、浅草寺裏の田んぼの中に誕生。)

職人は吉原へ行っても、古紙をひやかす1~2時間で帰らなければいけないので、中へあがること無く、郭中のにぎわいだけを見て帰っていったそうです。

ということで、”紙をひやかしに来た人たち”という意味で、吉原を眺めるだけの人たちを“ひやかし”と呼ぶようになりました。
現代では、意味が発展して、“からかいにきた人たち”という意味になっています。

●当ブログの前記事、嶋田重夫様の手漉き張り子紙の説明はこちらからどうぞ。
張り子紙についてパート①
張り子紙についてパート②

●はりこのはやしやの張り子の素材説明はこちらからどうぞ
素材説明




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