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秋田県の八橋(やばせ)人形

こんにちは、張り子作家、林史恵です。今日は、秋田県の八橋(やばせ)人形について、ご紹介させていただきます。


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八橋人形、鳩笛(はとぶえ)

八橋(やばせ)人形は、秋田県横手市の中山人形と並ぶ、県を代表する土人形です。有名な製作者は、高松茂子氏と、道川トモ氏です。残念ながら、高松茂子氏は平成元年に亡くなられました。道川トモ氏は、指導者として、後継者養成事業を試みられているそうです。

八橋人形の目玉商品は、木製の台にどっかりと座る、立派なひげの天神様です。その他にも、雛人形の段飾り、花魁、えびす大黒など、残されている型は、100種類以上にのぼると言われています。


八橋(やばせ)人形の歴史


江戸後期、天明元年(1781)京都の伏見人形の人形師、久保田という方が、秋田県八橋の地に移り住み、その近くの、川尻鍋子山で、土人形や、日用に使用する雑器を焼いたのが始まりです。

その後、一時は途絶えてしまいますが、文政年間(1818~30)、箱岡毘沙門天(現在の八橋運動公園のあたりだそうです)の就職が、京都の人形師の制作した土人形から型を起こし、土人形をつくり、毘沙門天の祭礼に売り始めて復興させたのだそうです。

当時、箱岡毘沙門天のあたりは、他にも神社がいくつかあり、参詣者目当ての芝居小屋や茶屋もあり、歓楽街であったといわれています。

天保、弘化年間(1830~48)頃は、北前船が、秋田港に立ち寄り、その際、京都の伏見人形も出回ったそうです。
それらの伏見人形を模して、八橋人形の種類は、より増えていったといいます。

八橋では、男の子には、八橋人形の天神様、女の子には雛人形を飾る習慣が広まり、八橋人形を業とする人が、数十件にも登ったと言われています。


●参考資料

全国郷土玩具ガイド① 畑野栄三著


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